有刺鉄線でつかまえて

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映画の感想めも

カイロ・レンめっちゃわいやん……ってなってる話


スター・ウォーズ最後のジェダイ見る前に「フォースの覚醒」の感想というか。覚書というか。しゃくたんはスター・ウォーズあんまりよくわかんなくて、デザインは好きだけど話はよくわかんないくらいの感覚。映画「ピープルVSジョージルーカス」は面白かったよ。


だから「フォースの覚醒」みたとき「こんなおもんないもんをずっと好きでいるなんて、すごいな」と思ったレベルなんだよね。

「おもちゃ屋さんの宣伝」って言われるだけあってキャラ萌えはすごかったけどね、ハックス将軍
だよ。ハックス将軍くそ萌えである~あ~ミリセントちゃん出てきてほしいんじゃ~。
で、カイロ・レンですよ。

カイロ・レン。

世の中には「ご両親が敬虔なカトリック教徒で幼少の頃より英才教育を受けて将来は協会関係の仕事に就くことを望まれながら現在のお仕事はアンチクライストの暗黒デスメタルバンドのボーカル」なんて人もいるわけじゃないっすか。もっと言えば「ご両親が酒屋さんを営んでいるサラリーマン」とか「親がスポーツ選手の音大生」とかいるじゃないっすか。


カイロ・レンはその手の男の子なんですよ。
カイロ・レンはついに出てきてしまった現代の親にとっての「怪物」なんですよ。


親の教育が悪かったので怪物化せざるを得なかったHiGH&LOWの「林蘭丸」ちゃんや、自分のコンプレックスを受け入れるために怪物化せざるを得なかったマイティソーの「ロキ」ちゃん。
ごくごく普通に生きていて、ごくごく普通に恋をして、ごくごく普通に結婚して、ごくごく普通に子供を作り、ごくごく普通に出産し、ごくごく普通に育てる中で映画に出てくる怪物は生まれなかったはずなんですよ。それが普通の話で、当たり前のことだったんですよ。


レンちゃんは「自分にとっては最高!だけど周りにとっては最悪」なんですよ。
正直自分の子供が怪物になるケースだと一番リアリティがあるのがレンちゃんパターンなんだよね。「ネットで真実を知った」とか「大学で先輩にサークルに誘われて」とかだからこそリアリティが出過ぎるから描かなかったのにスター・ウォーズというドデカイコンテンツでよく出したよね。レンちゃん。


レンちゃんはレイアとソロの子供で、ルークの弟子というスター・ウォーズ夢小説の最強愛され主人公ポジションなんですよこんなの、多分三人ともそりゃもうとんでもねえ愛情を注ぎまくたはずです。多分ね、もうね、テンションからしてレンちゃんがつかまり立ちした日は国民の休日なってますよ。

でもレンちゃんにとっては、その愛が苦痛だったわけじゃん。

100人が100人みて「めっちゃええやん!てかそれで嫌って言うのはわがままじゃん。うちなんかさー」って流れになるくらい恵まれた暮らしをしてたレンちゃん。でもレンちゃんには苦痛だった。だってレンちゃんはレンちゃんだもん。レンちゃんはソロでもルークでもレイアでも、ダースベイダーでもないんだん。レンちゃんなんだもん。

レンちゃんにはレンちゃんの幸せがあって、それを見ることなく「自分が与えて欲しかった幸せを与えれば幸せになってくれる」の押し付けでしんどくなったんじゃねえかな。

女の子ならピンクの小物、みたいなもんでさ。

レンちゃんの孤独や苦しみを本当に理解してくれるのは「ダークサイド」でレンちゃんもダークサイドにいると安心して本当の自分になれたんじゃないかな。

個人的な話になるんですけど、しゃくたんのオトンとオカンはいわゆる「パリピ」「リア充」なんですよ、休みの日は高校の頃の友達とかと未だに遊びに行くタイプなんですよ。
からしゃくたんの「おうちすこ」が理解できないんですよね。

オトンとオカンにとっての幸せは「友達とオールで飲み」なんですよ。
しゃくたんにとっての幸せは「おうちでお布団に入って映画鑑賞」なんですよ。

これを「まぁそういうのもあるよね」と分けて考えてくれればいいんだけど、オカンは「おかしい!だって私はつまんないもん!だから絶対それつまんない!人生損してる!本当に面白いこと教えてあげる!だって私が面白いもん!みんな面白いって思ってるよ!」って感じなんでもうね、最悪で高校の頃にこれで一回大喧嘩したくらいなんですよね。

オカンの考える「しゃくたんの人生成功幸せルート」はなんというか客観的に見たら本当に幸せだったんだけど、しゃくたんからしたらしんどくて辛くて息ができないもんだった。
それに外れているしゃくたんはダメ人間で悪人で理解できない存在なんだよねオカンのなかで。

そん時に思ったのが「自分が生きるために、この人を殺さないと、いつかこの人に殺されるんじゃないかな」ってことなんですよ。


レンちゃんがソロを殺した時、めっちゃすっきりしたのはあの時のしゃくたんはソロの「一緒に頑張ろう」を信じて手を取って踏みにじられたからで、レンちゃんはあの言葉が自分にとってのハッピーエンドへ向かうためのフラグ立てでしかないって分かって殺してくれたんだって嬉しかったんですよ。


しゃくたんだってオトンとオカンより友達が少ないこととか、オトンとオカンの結婚した年齢を超えて独りなこととか、このまま生きていくとオトンとオカンの生涯年収より稼げないこととか、親の言うこと聞いてたらもうちょっとましだったのかなとか、悩んでるわけですよ。やっぱり親って正しいのかなってさ。しゃくたんを殺して○○ちゃんとして生きていければ楽だったのかなって。


そんな中でレンちゃんを見たとき、スクリーンの中で苦しんでる○○ちゃんがいて、しゃくたんは救われたというか悲しくなったというか情けなくなったというか、上手く言語にできないけど、ただただ「がんばれ」って感情でいっぱいになった。



この世界にはカイロ・レンがたくさんいて、たくさん悩んでる。
親や世界から差し伸べられる救いの手が苦痛の刺だらけに見える子供が沢山いる。
親にとってのダークサイドこそが救いの子供もいるし、自分だけのライトサイドに適応していく子供もいる。


「親は親」「子供は子供」で「子供は親とは別の個体」なんです。


「俺はスター・ウォーズだいすきで、子供にもスター・ウォーズ見せて育てた、子供もスター・ウォーズ好きって言ってる」のは子供が親の英才教育により「スター・ウォーズだいすき!」になったんじゃなくて子供からしたら「親がそういえば静かだから言ってるだけ」ってことかもしれないってちょっとは考えて置かないといけないって話よ。いつの日か「スター・ウォーズとかつまんねえよ」と子供に言われても「そっか」と言える親になろうな。



以上、しゃくたんのオカンがしゃくたんを産んだ年齢で「スター・ウォーズ フォースの覚醒」を独身でみて思った感想でした。

今回予告でレイアをぶっ殺す感じのレンちゃんが出てたけど、未だにオカンを殺して自分も死のうかと思ってるしゃくたんはここでその思いにケリをつけられるんやろか。ひとりの少年が汽車に乗るには何人母親を殺せばいい?って寺山修司は映画「田園に死す」で言ってたけど。レンちゃんがレンちゃんをやめるにはあと何回レイアとソロを殺せばいいんだろうか。


おわり